斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

私の好きな『ちはやふる』と末次由紀

かるた漫画の『ちはやふる』が広瀬すずさん主演で映画化されるそうです。

自分は原作の『ちはやふる』が大好きで、漫画は単行本ベースで毎回読んで笑い泣き、アニメも漫画の魅力を引き出した素晴らしい内容でこちらも毎週見て泣き笑いしました。

『ちはやふる』という漫画の面白さについては、すでに何度も漫画の賞を受賞し、ネットで探せばいくらでも激賛するレビューがあり、Amazonでの評価も単行本のほとんどが4点台ということで、あえて触れる必要はないですよね。未見の方がいらっしゃったら、ぜひ読んでみてください。 

自分は作品もそうですが、作品から漏れてくる作者の末次由紀さんにも魅力を感じています。 

末次由紀さんの作品については『ちはやふる』から入った方が多いでしょうから、彼女の過去の過ちについてご存知の方は今では少なくなっていると思います。

2005年当時2ちゃんねるを中心にして、ある話が持ち上がりました。末次由紀さんの当時の作品に、他の漫画の構図をトレースしたものが多くあるというものです。

まとめサイトなども作られ大きな騒動になり、末次由紀さんの1995年からそれまでの10年程度の間に出版された作品はすべて絶版扱いになりました。

当時の炎上は自分も眺めていまして、『スラムダンク』等の構図をそのまま使っているのは素人目でも明らかでしたから、「これは炎上しても仕方ないかな」「このまま漫画家として復活することはないだろう」と思っていました。 

マンガ大賞2009 

自分が『ちはやふる』という漫画を知ったのは、その炎上についてすっかり忘れていた2009年のことです。2008年2号からBE・LOVEで連載が開始されていた『ちはやふる』がマンガ大賞としての初めての大賞に選出されたのでした。 

自分はこういった賞に選ばれた作品を中心に漫画を読むようにしているので、当時単行本になっていた数巻ぐらいまでを早速読み、すっかりあてられ「かるた、やりたい!」と思いました。

せいぜい高校の古文で短歌を勉強した程度の自分があてられるぐらい、かるた愛に溢れた作品にえらく関心したわけですが、作者の名前を聞いてどこかで聞いたなと検索してみたら、例のトレース事件で作品が全て絶版になった作者であることが分かりました。 

末次由紀さんはこのマンガ大賞の授賞式には欠席し、代わりにかるたでA級全国2位の経験もある担当編集者が出席されています。欠席理由は、

マンガ大賞2009発表!大賞は末次「ちはやふる」 - コミックナタリー

記者から作者の授賞式欠席について質問されると、末次の言葉として「過去に犯した間違いというものがあり、自分はまだこういう場に出て行けるような人間ではない。一生懸命マンガを描いていくことでしか恩返しはできない」という考えを伝えた。タブー視されるかと思われた過去のトレース事件に自ら触れた真摯な姿勢に、会場からは感嘆の声が漏れた。

まだ表に出られる人間ではないというものです。こいういうのを見て、更にあてられました。作品と作者とは別に評価するものですが、この作者だからこそ、これだけ熱い漫画になったと思いました。 

末次由紀さんは、マンガ大賞に作者コメントを寄稿しています。

マンガ大賞2009 プレスリリース(PDF)

○作者のコメント
この度は、「ちはやふる」をまんが大賞2009の大賞に選んで下さって、ありがと うございます。
本日の授賞式への欠席を、まず深くお詫び申し上げます。
賞など無縁のこれまでだったので、未だにまんが大賞を受賞したことが信じられません。
講談社のBELOVEでまんがの仕事を再開して約2年、
まんがを描くかチョコレートを食べるか取材に行くかの毎日でした。

(中略)

マンガを描いてきただけの2年です。

でもその「末次由紀がまんがを描く」ための場を下さった人がいて、
「末次由紀のまんがをいいものにする」ために協力して下さった人がいて、
「末次由紀にもう間違いをさせない」ために最大限努力して下さった人がいます。
そしてなにより、根気強くもう一度まんがを描くことを待っててくれた読者のみなさん。

「ちはやふる」はそういうたくさんの人の思いの上で育ちました。

私だけの作品じゃないという思いでこれまでも描いてきましたが、
今回まんが大賞に選んで頂き、多くの書店員の皆さん、選考委員の皆さんに受け入れ
て頂いて、
「ちはやふる」はますます私だけのものではなくなりました。

そう思わせてくれたたくさんのみなさん、本当にありがとうございました。
どれだけ言っても足りないのですが、本当にありがとうございました。

(以下略)

過去の出来事に腐らずに漫画を書き続けた本人の思いもそうですし、それを支えた編集部の方々がどういう思いがあったのかも伝わってきます。 

単行本での作者コメント

そんなわけで『ちはやふる』と同時に末次由紀という漫画家にも興味を持った自分にとって、彼女が表で発言しているコメントには自然と関心が向きます。特に、チェックをし忘れないのが、ブックカバーの折り返し面に書いてある、作者のコメントです。

いくつか紹介します。

1巻より

「ちはやふる」は連載作品です。
連載でまんがが描けることが
どれくらい楽しくて幸せなことか、
文章ではうまく伝えられそうにありません。
まんがで伝わることを願っています。
さあスタートです。 

5巻より

「競技線のなかで自由になりたい」と千早が
思うように、私も「まんがの中で自由になりたい」と
思うことがあります。限りあのあるはずの紙の上に、
まるで無限のような奥行きと広さを
もって描かれるたくさんの世の素晴らしい
まんがを読むたびに、私が登ろうと
思った山はものすごく高いなあと思わされます。
少しずつでも頑張ります。

15巻

私が大事にしている言葉に
「人は信じてもらったときに最大のパワーを出す」
というのがあります。
信じるときの、「君でダメでも後悔しない」
という覚悟が好きです。
仕事でもそれ以外でも私を貫きます。

19巻

試合試合試合!!の19巻で
大変申し訳ないのですが、
描いていてとても楽しい巻でありました。
集中し続けることはとても難しいですが
千早たちが集中して深く遠くへ
行こうとしていると、私にもそれが
出来そうなきがしてきます。

20巻

20巻です。
自分だけのがんばりでは絶対に
ここまで来られませんでした。
助けてくださった皆さん、
描く私に伴走して一緒に
読んできてくださった皆さん、
ありがとうございます。

27巻

私にとって「励まされる」とは
目線が上がることです。
頑張る友人や家族や桜や青空や月、
遠くを見ろという
仕事を取り巻く空気にも。
でも映画化まで遠くは見ていませんでした…。
無限に受けてきた
励ましに感謝いたします。

ご覧のとおり、徹底して作品、読者、周囲の人々への感謝の言葉が綴られています。これらのコメントを読む限り、今となっても10年前のトレース事件への反省がまだご本人の中で残っているように思います。

たらればではありますが、仮にトレース事件がなかった時に、『ちはやふる』という傑作が世の中に生み出されていたかと言えば、この末次由紀さんの真摯なコメントを見るに、存在しなかったかもしれません。

過去の作品をすべて絶版扱いにした時点でもそうですし、マンガ大賞受賞時点でも、すでに過去の過ちへの禊(みそぎ)は済んでいると思います。それでも、まだ自分に足りないところがあり、読者や編集者とともに、漫画でできる高みを目指そうとする末次由紀さんの姿勢を見ていると、一度の失敗で人間性を決めつけることがどれだけもったいないかと思います。一読者として、逆境の中、彼女を支え続け、これだけの傑作を世に送り出したBE・LOVEBの編集部の方々に感謝します。

『ちはやふる』は登場人物が3年生となり、物語も終盤戦を迎えています。恐らく、後5巻ぐらいで完結するでしょうが、終わってしまう残念さもあるものの、末次由紀さんが『ちはやふる』とは違う題材で新しい漫画を生み出してくれる可能性も考えると、楽しみでなりません。

以上、私の好きな『ちはやふる』と末次由紀でした。以下は、余談です。

余談 

『ちはやふる』の登場人物は誰も魅力的ですが、自分が好きなのは、猪熊遥元クイーンです。一度はかるた界を引退したものの、二児の子どもを育てながら、再度大会に参加し始めた強豪選手です。もともと「感じ」がいい選手だったのが、年齢によってそれに衰えが出ているものの、年齢をリカバーするタフさに痺れます。

猪熊遥もそうですし、原田先生もそうですし、『ちはやふる』では、大人がちゃんと大人をしながら(普段の社会生活を営みながら)出来る範囲でかるたに熱意を向けているのが伝わってくるのが、子どもがいて働いている、自分のような人間にも大きく響くところではないかと考えています。 

ちはやふる(1) (BE・LOVEコミックス)

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  • 作者:末次由紀
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版