斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

スクールカースト上位のいじめ加害者に対して、人格と行為を明確に分けた配慮ある指導を私ならできたのだろうか

Yahoo!ニュースのこの記事を読みました。

教師が子どもを追い詰める―― 「指導死」の現場から - Yahoo!ニュース

内容は、学校の教師による指導で自殺する子どもを扱ったものです。その中で、新潟県でとある生徒が「指導死」したことについて触れられているのですが、どうもよく分からない部分があったので、昨日9/12に公開された、この件を扱った第三者委員会の報告書を読んでみました。

新潟県:上越地方の県立高等学校生徒が自殺した事案に関する第三者調査委員会の調査報告書公表について

 

経緯

詳しくは報告書を読んでもらうとして、この生徒が自殺するまでの経緯をざっくりまとめるとこうなります。

  1. 生徒(及び他の部活の同級生)が高校2年生のときに、同じ部活の生徒をいじめで退部させる。特に明確な指導はなかった模様
  2. 生徒が高校3年生の7月、その年の5月の他生徒への嫌がらせを理由として、校長から特別指導を受ける
  3. (2の件とは別で)生徒が高校3年生の7/24、部活の不満をSNSで書く(一部同じ部活の生徒のいじめと取れるものを含んだ模様)
  4. 3について、部活でのミーティングが行われ、生徒は自ら退部することを申し出る
  5. 3について、不満を持った被害者の生徒の親が学校側に相談する
  6. 5を受けて、7/31、部活顧問による生徒への個別指導が行われる
  7. 7/31同日、生徒が自殺する

その上で、生徒の自殺に関して、

  • 1ではほとんど学校側の指導が無かったのに、2ではあったという学校側の対応の一貫性のなさ(インターネット上でのいじめにばかり過剰に対処していたこと)
  • 人格と行為を上手く切り分けできない生徒に対して、人格を否定するような指導を行ったこと(矯正指導でないこと)

というポイントでもって、学校の指導体制を批判しています。ただし、指導が自殺の直接の原因としてはいません。

 

思ったこと

これを読んでいて、自分が同じ状況で、親として、先生として、常に同じ事態にならないように振る舞えたかどうか、非常に難しいなと思いました。特に難しいのが、自殺した生徒がいじめの加害者であった点です。

報告書では、生徒はスクールカーストで上位だったと書いています。

本生徒は他の生徒をいじることで仲間を楽しませるキャラクター……その意味では本生徒は本学校の中で多くの生徒から承認が得られるスクールカースト上位者であったことが推察される……実際、スポーツが得意でコミュ力が高く友人やガールフレンドに恵まれた本生徒の位置は典型的なカースト上位者のそれと考えられる(P44)

その立場で、何度かいじめをしているんですよね。

報告書は、生徒を批判するためのものではなく、学校や教育委員会の対応を検証するためですが、この生徒による加害行為は何度か登場します。特に、この生徒はよく「いじり」をしていたらしい。そして、本人は、ゼロイチ思考の持ち主で、自分の行為を批判されると、人格が批判されたと考える傾向があったらしい。 

それで、自分が何を考えたかというと、この生徒対して、どれだけの親や先生が上手く対処できるかということです。この、学校でちょっと調子に乗っていた生徒に対して、人格攻撃と本人が受け取らないよう、行為に限定して配慮した指導をするのは、凄く難しいんじゃないかって。「またお前か」「いつもお前が悪いんだな」と思えないで、言わないで対処できる人がどれだけいるのか。

別に学校側の指導を肯定するつもりはありません。マズい部分があったとは思う。それでも、そこまで多くの悪手があったようにも読み取れなかったので、これは非常に難しいなと思ったわけです。自分なら避けれたか、システム的に避けれたかがどうも判断できない。

 

子どもへの指導で意識すること

子どもがいじめでも何でも加害行為をやらかしたときは、

  • たとえ加害者であっても本人の言い分をよく聞く(加害者に加害行為をした意識がない可能性がある)
  • あくまで悪いのは行為そのものであり、本人の人格は批判しない(人格を批判しても行為は改善されない)
  • 指導は行為が発覚後すぐに行い、短時間で済ませ、繰り返さない(本人を疲弊させない)

というのが基本原則ですよね。叱る基本技術。

これが親子だけの関係でやるなら上手くできることが多いけれど、関係者が増えると途端に難しくなります。

被害を受けた生徒やその親としては、加害生徒の人格否定をしたくなるだろうし(時には親の育て方を非難したくなる)、加害者の言い分なんて聞きたくなくて、何らかの罰を与えることを求めるでしょう。これ自体は被害者感情を考えれば当たり前のこと。

学校としては、責任問題も出てくるから、親が加害生徒に諭していたとしても、学校としての指導はするでしょう。それは時には処罰に近いものになってしまう。

「人格攻撃にならないよう、バランス良く批判するように」なんて、加害生徒の親が被害生徒の親や学校にまさに事が判明したタイミングで言うのはかなり難しい。時に社会も加わって子どもを批判するかもそれない。

だから、どこかで加害者の家族は子どもの防波堤になって、人格を認めるようにバランスを取ることになるんだろうなと思います。死んでしまってはどうしようもない。

 

スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応 (小学館新書)

スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応 (小学館新書)

 

※評判がいいので読んでみよう。

 

追記

記事がバズったことで誤解する人が出てきそうなので補足しておくと、被害者がいじめ加害者の事情を理解しろという趣旨の記事ではありません。

私は今現在子どもを持つ親ですが、たぶんこの事件と同じような現場に、被害側、加害者側、指導側で出会うことはないわけじゃないなって考えたんですね。まったく同じではなくとも際どいケースはあるだろうなって。果たして、そのときに自分がどう振る舞えるかどうかというのを検討してみたのがこの記事になります。

ちなみに、私自身は小学生の頃にいじめられています。ブログでは何度か書いてますね。それとこれとは話が違うので、この記事では直接は触れませんでした。