個人の体験談です。
昨日、善意を前提にして劣悪な環境で働かせることのリスクについて書きましたけど、これに近い展開が、お友達価格でサービスを提供する時にもあるなと思っています。
友達からの仕事というのは、その友達が仕事を発注できるポジションになったこと、自分自身も友達からプロとして認められたことを感じられるため、知らない人からの仕事とはまた違う感慨があります。
ただ、その時に、その友達が、「友達だからお友達価格でお願い!(格安でやってね!)」と言ってくると、テンションはダダ下がりです。
これが起業したてで今だけ資金繰りが厳しい、これからも継続取引をして次回からはちゃんと定額(orそれ以上)で発注するなんてことを確約してくれていたならいいんですけどね。営業的に受けるという判断ができる。周りへの説明もつきやすい。でも、羽振りがいいのに、お友達価格を提示する友達は、もうそこで縁切りをしたくなる。
こちらはプロとして適正な価格でサービスを提供しているわけです。自分の腕を信じていないなら、質が劣るサービスを提供する人を起用すればいい。価格を抑えて発注するということは、プロとしてのこちらの腕を認めていないということ。その友達は自分の腕を認めてくれていたわけではなく、友達関係を利用して安く発注できるところを探していたということに気付かされてしまう。
(もちろん、自分のサービスでの市場での価値が下がっている時なら、友達かどうか関係なく値下げには対応せざるを得ないというのは別の話としてはあります。)
発注する側は、受注する側がどう受け取るかは多分そこまで考えてないんですよね。凄く軽い気持ちで発注する。でも、こちらがその発注を受けると信じて疑わない。お友達だから。「え、何で受けてくれないの?」と言う。
加えて、お友達価格で受けるのが危ないのは、定価以上のサービスを求められることがちらほらあるのも一つの要因です。
「お友達だし、杓子定規じゃなくて柔軟に対応してくれない?」「こんなのあなたなら簡単でしょ??」こういうオーダーが友達関係を土台にして『気軽』に出てくる。それが許されるなら、「お友達だし、この程度のサービスでも満足してくれるよね?」「お友達なら私に余計な仕事をさせないでくれる??プライベートがあるんだけど」こっちはこう言ってもいいはず。
これが、そもそも、そういう発注の仕方をしてくる人が友達ではなかったという結論を出せるならそれはそれでいいんですけど、仕事になると、組織人の立場になると、目の色が変わる人はいるんですよね。お金を少しでも出したなら神様になれるという教育を会社で受けていたりして。
長くなりましたが、こちらが提供するサービスに絶対の自信があるのであれば、たとえお友達でも定価を崩さない方がお互いに気持ちよく仕事ができることが多いというのが個人の実体験です。
三波春夫といえば『お客様は神様です』というフレーズがすぐに思い浮かぶ方が少なくないようです。印象強くご記憶頂いていることを有り難く存じます。
ですが、このフレーズについては、三波本人の真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございますので、ここにちょっとお伝えさせて頂きます。
三波春夫にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という形の中から生まれたフレーズなのです。
三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのですし、また、営業先のクライアントのことでもありません。
しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう風になるようです。そして、店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。俗に言う“クレーマー”には恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。