斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

年末年始に気づいたこと。子どもがテレビに向かって"講評"しているのが30年前の私にそっくりなこと

我が家にはテレビがないので、子どもたちがテレビに触れる機会というのは、姑のリビングでたまたま見るときか、私の実家に帰省したときぐらいになります。

私の姑は、なかなか難易度が高い人なので、視聴するテレビ番組は録画した秘蔵のセレクションとなっているため、いわゆる普通のテレビらしいテレビには、私の子どもたちは触れる機会は、私の実家ぐらいになります。

実家の両親はテレビ大好きっ子ですから、リビングでは必ずテレビが付き続けています。私が子どもの頃とまったく変わらず、バラエティ番組・スポーツ番組が流され続けています。

以前からもその気がありましたが、今回の実家の帰省で、私の子どもがそのテレビに対してずーっと何か講評をし続けているのが非常に目立ちました。私の両親が「ずっと実況しているね!」と驚くぐらい、出てくる人、出てくるコメント、番組の流れ、CMの内容等々、何でもかんでもあーだこーだ言い続けていました。

私が見る限り、私の子どもはテレビにまったく触れてきていないので、どちらかというと好奇心多めでテレビを講評している印象です。肯定的とまではいかないけれど、ニュートラルな感じで、「こういう演出があるということは次にこんな展開がある」みたいなことを予測していました。

私は子どもがずっと呟いている姿を見て既視感を覚えていました。30数年前の私の子どもの頃とそっくりだったからです。

30数年前に子どもだった私も、テレビに対してはずっと何か言い続けていました。違いがあるとすれば、私はテレビに対してかなり批判的な立場だったところでしょうか。

テレビが日常にまったくない私の子どもと比べ、私の子ども時代はご飯を食べていても、家族に何かを報告していても、常にテレビが流れ続けている状況でした。私にチャンネル選択権がないため、私の興味のない情報がずっと提供され続けていました。どこの家庭でもほとんどがこんな感じで、「みんなが見る」音楽・スポーツ・エンタメ番組がお茶の間に普通にあったと思います。

私は音楽もスポーツも興味がないし、ニュースも当時から新聞中心に摂取していましたから、自分に興味がない情報が横で流され続けているのは相当の苦痛でした。

そんなこんなで30数年前の私はテレビに対して随分と批判的なコメントを言うようになり、親が不機嫌になったのか、私が耐えられなくなったかで、テレビがあるリビングには近寄らなくなったのでした。

その後、大学生になり、晴れてテレビのない生活をエンジョイできるようになり、ストレスフリーさが快適すぎて、結婚してからも、子どもができてからも、テレビのない生活をしています。

現在の我が家では、家族揃ってテレビを見ることはなく、家族がそれぞれのその日のto doをしたら、思い思いにそれぞれの端末を使って、別々の情報を摂取しています。

たまに、同じプログラム(主に映画)を一緒に見ようとしたりしますが、再生速度やスキップ感覚が全然違うので、誰かがストレスを感じることから、だいたい断念します。パートナーは1.25倍速、子どもたちは2倍速、私は2~4倍速ぐらいが好みで、それぞれスキップしたいポイントが違うわけですから、上手くいきようがありません。

結果、家族全員が1時間以上の長さの同じコンテンツを一緒に共有するのは年に数えるぐらいです。TiktokやYoutubeやTwitterの短い動画ならなんとかなるんですけどね。

こういう家庭で10数年過ごしてきた私の子どもたちからすれば、私の実家に帰省したタイミングに、テレビがリアルタイムで、再生速度も変えられず、スキップもできず、一般向けのCMが流されるのを、家族全員で何時間も見るというのは相当特殊な経験になります。

紅白歌合戦がその最たるものですね。あれは、我が家にいたら子どもたちは絶対にそのまま見ていないはず。

第72回 NHK 紅白歌合戦

ある種の異文化交流みたいなところがあるので、帰省のタイミングで子どもたちがテレビ漬けの生活をしているのはどちらかというと好意的に見ていました。今回の帰省から、子どもがテレビに対してずっと呟くという現象が追加されたわけですが、両親が嫌がられない限りは、興味深く観察させてもらおうかなと思った次第です。

あ、言うまでもないですが、私はテレビがずっと流され続けているのは今でも耐えられないので、実家では子どもの反応を眺めつつも、もっぱらイヤホンをつけてスマホを見るようにしています。あなたたちも好きにしているから、私も好きにするって感じですね。

お後がよろしいようで。