斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

阪神大震災・地下鉄サリン事件はもう25年前。当時「戦後50年って随分昔だな」と思っていたが、すぐに「戦後100年」は来そう

阪神大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた1995年はもう25年前のことになります。1995年といえば新世紀エヴァンゲリオンのテレビ放映が始まった年で、私の観測範囲では何となく世間に厭世観が漂っていたような気がする。

1995年当時の記憶として、戦後50年というのがフィーチャーされていたことも何となく覚えています。学校の課題で祖父母から戦争体験を聞くみたいなことがあった気がする。50という数字をデコったポスターを描いたかもしれない。

私の祖母に聞くと戦時中の苦労というより、昔はモテたことや、戦後にいかに身を立てていったか、お金を稼いだか、子どもを立派に育て上げたかの苦労話(自慢話)に繋がることが多かったように思う。祖母はデイケアでもモテたことを自慢していた。その祖母は随分前に亡くなっている。

1995年当時、ティーンだった私にとって50年前というのは歴史の出来事で到底想像がつかないものだった。何しろ映像があっても荒くて白黒。リアリティを覚えられずフィクションとの境目も曖昧。

しかし、気付けば今は戦後75年。1995年からの25年は体感では無限のようだったけれど、思い返せば一瞬のように感じる。エヴァはまだ続編が作られ続けているし、50年前の1970年放映のいなかっぺ大将で風大左衛門を演じていた野沢雅子さんはまだ現役でドラゴンボールの悟空の声を演じている。ニコニコ動画でたまに「よっこいしょういち」というコメントを見ることもある。横井庄一さんが日本に戻ってきたのは1972年。1972年は日本列島改造論、沖縄返還、あさま山荘事件の年。

それではこれからの25年はどうか。

現在アラフォーの私にとって、25年後は、子育ての暇潰し度はかなり減っているだろうし、予定通り運用が進めば有償仕事はしていないはず。いずれにせよ、過去25年よりも、もっと想像できる形で、大きな変化は感じずに、これからの25年が過ぎて行くんじゃないかと思ってる。でも、思っているけれど、過去もそうであったように、人生で思わぬ出来事は起こりうることも知っている。香港返還は23年前の1997年、一国二制度は50年継続するはずだったのに、もはやなし崩し状態。

25年後の2045年は戦後100年。その頃には自身の戦争体験を語れる人はほぼいなくなっているはず。思ったよりも早く戦後100年は来そうだから、残りの25年で失われる可能性が高いものには何かできることをやってもいいかもしれない。維持も大変なものだから。人の住んでいない家は腐る。

今日はこんな感じ。