私は『きのう何食べた?』が大好きです。ブログでも何度か紹介した通り、キャラクターや人物もそうだけど、料理も大好きです。私が読み終わると姑に貸している作品の一つでもあり、姑と内容を話すこともあります。
最新刊の14巻も、安定のクオリティで、しみじみ美味しいというか、しみじみ面白かったのですが、特に第106話のp.36(その話の最後のページ)には呻きました。
話としては、シロさんが勤める弁護士事務所の事務員である志乃さんと志乃さんの夫の片山さん夫婦が、子どもを作ることへの周りのプレッシャーを有形無形に受けつつも、夫婦で会話をして、最終的には、「子どもがいてもいなくても、私たちは一緒でいい」ということを確認するものです。それが一番上のコマとなります。
では、二コマ目は何か。シロさんとケンジがご飯を食べ終わったシーンです。しかし、この第106話では、シロさんはこのコマ以外では2コマ、ケンジはこのコマ以前では一度も登場しません。シロさんが登場するその2コマも特に上のコマに繋がるようなものではなく、この第106話は、基本的には志乃さん夫婦中心で描かれています。
そうなると、この二コマ目が何を表現しているかといえば、「子どもたちがいてもいなくても、私たちは一緒でいい」とする志乃さん夫婦の構図は、シロさんとケンジでも同じであるということを暗に伝えているのだと、私は受け取りました。
私が考えすぎなだけかもしれませんが、ここでシロさんとケンジの二人を登場させるのは、それ以外の理由としては、主役達があんまり活躍しないから挿入してみたというぐらいしか、私には思い当たりません。この巻では、シロさんとケンジが同じ墓に入るという話も出ているため、すでに二人は、家族であるということは改めて確認されていましたし、シロさんとケンジの間には子どもはできないけれど、(志乃さん夫婦と変わらない)家族であるという描写と受け止めるのは、そんなに変じゃない気がします。
加えて言えば、三コマ目は、志乃さん夫婦や、シロさんとケンジカップルと同様に、それぞれ事情や方針のある家族がいるものだということを表現しているのかなとも思いました。漫画の最後のコマで、町の景色が描かれることはよくあることですから、これは考えすぎの可能性は高いでしょうけどね。
このコマに限らず、第106話は、大先生の志乃さんへの語り口調が素晴らしかったり、片山さんの実母のやり口がとてもコマッチャっぽかったりして、とても楽しめました。もちろん、全巻通して面白いのは変わらずです。ケンジの出世!?とか。
今まで『きのう何食べた?』を読まれたことがない人も、ぜひ読んでもらえると嬉しいです。自炊漫画としてもとても使えますよ!
※このままずっと二人の物語が続いてほしい。
関連記事
私の姑はBL好きで、『きのう何食べた?』は姑ともシェアしています。
『きのう何食べた?』でもよく登場するめんつゆが織りなした夏の奇跡。
『きのう何食べた?』を読んでると無性に誰かに料理を作りたくなる。
『きのう何食べた?』を読んでいると料理をしたくなるのは私だけでしょうか - 斗比主閲子の姑日記
しかし、私のパートナーは料理シーンを一切読みません!