斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「子育てを楽しいと思える気持ちへの持って行き方やコツがあれば教えてください」

先日、読者からの質問に簡単に答えました。

「漫画に慣れると本を読めなくなる、それは迷信なんでしょうか?」 - 斗比主閲子の姑日記

実はもう一つ違うテーマも質問頂いていたんですが、一つの記事で二つ紹介するとややこしくなると思ったんですよね。ということで、別記事にしまし。以下は、この前の記事の続きと思いながらお読みください。

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Q. 子育てより働いている方が楽しくないですか?

漫画とは関係ありませんが、 topisyu様がブログで「子育てが面白くてたまらない」というようなことを書いていらっしゃったのも結構オドロキでした。働いてる方が楽しくないですか? 私は、子どもは可愛いけれど、向き合えないというか、一緒にご飯を食べていても公園に行っても、向き合えなくてスマホに逃げてしまいます。

子育てを楽しいと思える気持ちへの持って行き方というか、コツがあれば、是非それも、いつかブログでご披露をいただけたら嬉しいです。

一読者より

A. 子育ても楽しいし、仕事も適当に楽しいし、時々スマホも楽しみます

私は子育てを楽しいと思っていますが、それが、四六時中かといえばそうではありません。

乳児の頃の、自分が見ていなければ死ぬかもしれないという感覚は、二度と味わいたいと思いません。夜泣きをするので、深夜に数時間家の周りをグルグル回っていたのは、ギリギリでした。ほんとギリギリ。

アンパンマンの絵本を読んだり、アンパンマンのアニメを見たりするのは苦痛で苦痛でたまりませんでした。あてどもなく児童館や公園めぐりをして、とにかく時間が過ぎるのを待ち続けていたこともあります。

今でも休みの日に子どもが友達と勝手に遊んでくれるのを心待ちにしています。子どもが食べられないので、私の得意なグリーンカレーもずっと封印し続けています。作ろうと思えば親の分だけ作ればいいんですが。

そんなわけで、子育てが常に楽しいというわけではありません。楽しくないときもあります。ただ、総じて、私が得られたことがない経験が得られ、面白い出来事が結構な頻度であるので、子育ては楽しいと思っています。

仕事も同じです。いつも楽しいわけではないのですが、楽しいときがそこそこあって褒められてお金も貰えるので、仕事は続けています。

仕事中でも育児中でもスマホを楽しむことは私もあります。

そんなわけで、

子育てを楽しいと思える気持ちへの持って行き方というか、コツがあれば、是非それも、いつかブログでご披露をいただけたら嬉しいです。

この質問の答えとしては、結局のところは、バランスが大事だなと思って生活しています。もう少し具体的に言うと、色々な生きる場所を持つというか。息抜きできる時間を持つというか。複数の視点に立てるというか。

育児のシンドさというのは、特に密室育児だと子ども以外人間がおらず、その子どもも自分のことを評価してくれず、また言葉さえも正確には理解してくれず、ただただ、自分の存在に、この時間に何の意味があるのかと半ば強制的に問い続けてしまうところがあると私は考えています。他にもあるけど代表的なもの。

一方で、育児から定期的に開放されたり、育児について子どもや周囲から評価が得られたり、育児以外の仕事などで評価されたり、他の人間関係に触れられたりすると、育児の美味しくないところも何とかなる気がします。

身も蓋もない話になっちゃってるんですけど、育児が楽しめないのはそういうこともあるし、スマホに逃げちゃってもいいし、仕事を楽しんでもいいと、私は考えています。

ただ、もし、私が育児を楽しむためにちょっと違うことをしている可能性があるとすれば、子どもで実験をしているところでしょうか。

実験というと言葉が悪いですが、自分が提供したinputに対し、子どもがどのようなoutputをするかを追っていくことで、子どもの中のブラックボックスの中身を推測するということですね。

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inputに対しランダムな結果が出るかといえば、結構、傾向はあるんですよね。時々、外れ値が出てくるように見えて、実は私が認識していない他のinputが作用していたとか。

子ども一人一人が違うブラックボックスを持っていて、そのブラックボックスも、年齢や環境が変われば、inputに対し、異なるoutputを出したりします。

色んなinputを子どものブラックボックスに放り込んで、どんなoutputが出てくるか(はたまた出てこないか)を観察しているのは、かなり楽しいです。子どもの言動が完全にランダムなものだと思わず、何かの規則を探ろうとししている瞬間が、他に代え難い、貴重な機会です。