斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「既婚子持ちの友人が努力なしにローコストで社会復帰しようとするのが許せない」

 夏休み後の生活に徐々に慣れてきたので、モヤモヤ対応を加速させることにします。今日は、「友人が楽に社会復帰しようとしているのが許せない」というモヤモヤです。

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一人小町用のサムネ画像を頂きました。一の文字の上には鉈がキラリ。可愛い。

 

既婚子持ちの友人がローコストで社会復帰しようとするのが許せない

斗比主様

いつもブログを楽しく読ませていただいております。理恵と申します。今回、私のキャリア観の揺らぎについてご相談したいと思いメールさせていただきました。

私はある資格を持っていてその資格を使って仕事をさせていただいております。私は自分の興味のある研修に出たり本を読んだりして勉強しつつ、仕事をしてきました。その理由としてはスキルアップのためというのが大きいです。

しかし、先日友人と話してから私の中でなぜかスッキリしないものがあります。

その友人は、同じ資格を持ってますが、結婚し退職してから資格を使って働いたことはほぼありません。職場のあてはあったようですが、御家庭の事情で断ったそうです。子どもを授かりこのまま主婦でいるのかと思っていたのですが、そろそろ仕事に復帰したいとのことでした。

復帰するにしても経験がないので、どんな仕事を選択するか、そのためにどういう勉強をした方がいいかアドバイスしました。「そしたら、彼女は初心者と同じように教えてもらえる職場でないと復帰できない」「勉強にもそこまでお金をかけられない」と言ったのです。

確かに経験がない中で復帰したら右も左もわからないのは当然かと思いますが、私としては、自分の専門性を活かすためにどういう学びをするかという点を主体的に考えて行動しなくてはいけないと考えていたので、この発言にびっくりしました。

周囲の人もそうやって自分の余暇を減らしながらも勉強している方ばかりだったので、自分の専門性を高める意識が低い友人に嫌悪感が湧きました。また、自分がお金と時間をかけて身につけたスキルを「経験がないから」という理由で教えなければならないのかと思うと一方的な搾取を感じてしまいました。

もちろん、女性の社会復帰のために復帰しやすい環境整備は必要だとわかっていますが、私の中で「なぜ彼女のような人のためにこちらがコストを払わなければならないのか」という思いが消えません。

私は結婚しておりますが、子どもができません。彼女は結婚して子どももいて、十分得たいものを得てきているのに、さらにローコストで自己実現をしようとしていると感じ、ズルイという気持ちがあるのかもしれません。周囲からは、「あなたが彼女と同じ職場で働くわけでもないのにそこまで怒る必要はないんじゃない?」と言われます。

私もそうだと思うのですが、やはり彼女がそのような態度で社会復帰しようとしているのが許せません。高い志のある方とお話しすればするほど、そう感じてしまいます。そして自分の考えが合っているかの答え合わせがしたくなります。

相談としては、

1. 答え合わせを止める方法、つまり彼女の社会復帰への態度は自分のポリシーとは無関係だ、と思うためにはどうしたらよいか。

2. 今後女性の社会復帰について自分の考えの偏りをどう修正したらよいか。

の2点です。

拙い文章でありますが、斗比主様からの忌憚のないご意見をお聞かせいただければと思います。

念のため補足しますと、私としては、「職場復帰するなら勉強にお金を使え」と思っているわけではなく、主婦として母親としての経験を仕事に生かすためになにを学ぶかという積極性がみられなかったことに落胆したのだと思います。

お忙しいところお読みいただきましてありがとうございます。

理恵

自分の努力を認めるといいんじゃないですかね

忌憚のない意見をということで、忌憚なく申し上げると、大体、他人に対してズルいという気持ちを抱くのは、自分が評価されていないと感じているときです。

この辺の思考をもう少し詳しく書くと、「頑張ってない友人が簡単に自己実現しようとしてる。私は頑張ってるのに適切な評価を得られていない。もっと頑張らないといけないのに。手軽に評価を得ようとする友人は、私の努力をバカにしている感じがする」みたいな発想ですかね。

だから、自分の努力を自分が認めたり、他人からのフィードバックを得られるようにしたりすると、結果として他人がどうであろうが気にならなくなるというロジック。

これが誰か楽をすることで自分が損をするというのがピタゴラスイッチ的に発生しているのであれば評価云々関係ないけど、風が吹けば桶屋が儲かるぐらいの距離感なら自分の評価を気にする感じでしょうか。(なんて分かりにくい例え)

もう少し丁寧に具体的なアクションを考えるとすれば、

私としては、自分の専門性を活かすためにどういう学びをするかという点を主体的に考えて行動しなくてはいけないと考えていた

私は結婚しておりますが、子どもができません。彼女は結婚して子どももいて、十分得たいものを得てきているのに、さらにローコストで自己実現をしようとしていると感じ、ズルイという気持ちがあるのかもしれません。

ということなので、自分がどれだけ専門知識を得るために努力してきたのかを書き出してみたり、その努力への他人の想定する評価を書いてみて実際に他人に自分への評価を聞いてみたりするといいですかね。

特に、子ども云々が影響しているとご本人は自覚されているので、親やパートナーからの評価を確認してみるのは効きそうな感じがします。大人になってから親に「あなたは今のあなたで十分いい」って受け入れられるのは、かなり効くんですよね。

以上、忌憚なくコメントしました。

回答スタンスとしては、

自分の考えが合っているかの答え合わせがしたくなります。

という気持ちもあるみたいだから、私が「大丈夫。頑張ってるように見えますよ」とそれらしい承認を提供するのもありかなと思いましたけど、何が問題か、ご自身で認識されているようなので、ここでこれはちょっとミスリードな気がして、止めておきました。念のため補足説明です。