斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

手間がかかる子ほど可愛いと思う自分の心理を蹴飛ばしたいですね

部下にせよ、子供にせよ、誰かを育てていると、多少言うことを聞かなくて、自分で手塩にかけた人ほど可愛く思ってしまう気持ちはありますよね。これ、一人に対してならまだいいんですが、複数を同時に育てていると、依怙贔屓に繋がっちゃったりします。


分かりやすい例えだと、何も言わずとも自分の期待通りに動いてくれていた優等生と、言うことは聞かず苦労したけど後で改心した不良生徒に対する先生の接し方と言えばいいでしょうか。


こういう思いを抱くのは、自分がせっかく手間をかけたのだからというのがあります。手間をかけたんだから可愛くないと困る。自分の努力が無駄だと思いたくない。お腹を痛めた子ほど可愛いみたい。レベル上げに苦労したキャラクターの方が思い入れがある。そんな感じ。


育てるという行為は、それ単体で見ると単調な作業の繰り返しのようなところがあり、無償で長いことやっていると、それなりの対価を欲しいという気持ちが出てきます。こちらが努力しなくとも勝手に育った人間はそれはそれでリターンは得られるものの、やりがいという観点では苦労した方に気持ちが入っちゃうんですよね。


自分は子供の頃、優等生タイプで、教師からは問題児の扱いを任せられるなど、便利な存在だったと思います。特にそういうのが面白くてやっていたことなので、教師や親に誉められたいとも思っていませんでしたが、それでも、問題行動を起こす、手間のかかる子供のほうが何だかんだで可愛がられているように思った記憶があります。そう思ったということは、自分のような人間でも教える側の扱いの差に不満があったのでしょう。


子供には小さい時からそれぞれ物の吸収の早さや性格には違いがあり、そういうものは本人がコントロールできるものでもありません。本人を責める理由はない。(環境を変化させて何がしかの影響を与えることはできるでしょうが。)


それぞれフェアに扱うようにすると結局全員が不満を抱えていることもあるので、なかなかこの辺のバランス感覚は難しいですけどね。時にはそれぞれに対して「あなたが一番」と勘違いさせた方がいいかもしれない。


自分の偏見や先入観による接し方に起因して、本人が愛されてない、敬意を払われていないと思う機会はできるだけ減らせたらいいなと思います。