斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

娘「どうして認めてくれないの?」親「どうして気持ちが分からないの?」

また井戸端会議からです。

嬉しい報告をしても、必ず〝心配事〟をほじくり出す実母に… | 井戸端会議/お嫁さんな日々

母は、自分で気がついていませんが、見栄っ張りです。

娘であるわたしがどうしたいのか、好きなことが出来ているかどうかより、周りに迷惑をかけていないか、また、近所や親戚の評判を気にしています。

このことは、母に何度も言いました。

言っても「自分は決して間違っていない」とだけ。

「(同級生の)○○ちゃんたちみたいに普通にしあわせになってほしい」とも。

わたしがどう思うかなどはどうでもいいようです。

 

30代で独身、海外も含め転職の経験も多い私は、従兄弟や近所の同年代とは全く異なります。

彼らは、地道な仕事を長年続けていたり、結婚して子供がいたりします。

自分の親が、わたしのことを恥と感じているのが嫌でもわかります。

すぐ実家を出ればいいのだと思います。

訳があって今すぐは無理なのですが、一人暮らしも検討しています。

でも、例えば実家を出たとしても、何かうれしいはずの報告でさえ、毎回がっかりさせられることになるのかと思うと、いっそのこと何も伝えない方がいいのではとすら思います。

相談分が長いので主要な箇所の抜粋です。要は、「母は口を開けば私の心配ばかりで、私を自立した大人として見てくれていない。言いなりになれば母は満足するだろうが、今の自分をちゃんと認めさせたい」という相談です。

 

話を聞いて経験したことがあると思う方は多いのではないでしょうか。親子間でのあるあるなミスコミュニケーションですよね。

 

 

親/子だからこそ分かって欲しい

こういう親子のミスコミュニケーションの最大の要因は、親と子がお互いに、(親子関係があるからこそ)何度も伝えれば相手は自分のことを理解してくれると過大視していることにあるように思います。

例えば、この相談者さんは、

相手は変えられない、と頭で思っても肉親だと余計に腹が立ちます。

 

一生かかっても、母はわたしのことをまるごと理解はできないのでしょうか?「心配だ」などと言って気分をぶち壊しにしていることに気づかないのでしょうか?

親は変わらないと思っていても、どうしても理解してもらいたがっている。(変わって欲しがってる) では、相談者さん自身が変わる努力をしているかと言えば、

いつもそうなのです。こちらは、うれしいニュースを伝えても必ず「心配」をほじくりだしてくる。

このことは、母に何度も言いました。

 

言っても「自分は決して間違っていない」とだけ。

というところからも分かるように、繰り返し「自分の話を聞いて(母親は間違っている)」ということを伝えようとしている。正攻法での攻略を繰り返していて、自分を変える姿勢は見せていないように読めます。

 

結局、親・子ともにお互い変わるつもりはないんですよね。自分の今のスタイルで主張し続ければいつか相手が理解してくれると信じている。相談者さん本人に言ったら嫌かもしれませんけど、傍から見ると「やっぱり親子なのかな」と思ってしまいます。

 

相手を受け入れるところから入る

この種の「相手は分かってくれる」という思い込みに起因するミスコミュニケーションの解決策としては、とりあえず、こちら側から相手の話を肯定的に受け止めてみるというのがあります。

 

例えば、この相談で言えば、「お母さんの心配は分かるよ」「いつも心配してくれてありがとうね」と言ってみる。そうすると、相手は「分かってくれたらいいのよ」とガードが緩み、自分でも「そこまで反発するもんじゃなかったかな」と思えてくる。

 

このノーガードになった隙に、「でも、私もこういう風に頑張っているんだよね」とジャブを打ち込んでいく。

 

お互いにガチガチの守りをしている状態では、試合は成立せず、ただ時間が過ぎるばかり。親子の口喧嘩に負けたところで困ることはないのですから、冷静になって一度自分のガードを下ろして、相手にガードを下ろすことを誘発させる。

 

一気に畳み掛けると亀になる 

それでガードが空いたからといって、畳み掛けてノックアウトしようとすると、相手はまた亀になってしまいます。こうなると余計に頑なになってしまう。ここは、慎重に時間をかけたいところ。

 

じわりじわりと、相手の発言を肯定的に受け止めて、相手の気を緩ませていき、お互いノーガードで向き合える間柄を作っていく。

 

ここまで出来上がれば、もうミスコミュニケーションが生じることはかなり減りますよね。

 

それでも変わらない人はいる

もちろん、それでも変わらない人はいますよね。絶対に自分を信じて疑わない人。

それはそれで、その事実を知ることは意味があることだと思います。自分がスタンスを変えても変わらないのであれば、通常のやり方では自分を理解してくれないことが確認できたわけですから。

 

まだ何とかなると思っている間柄の方がよいようには思いますが、どうしたって無理だと諦めるのも楽に生きるのには必要な手続きだと思います。