斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

気持ちは分からないので「気持ちは分かる」とは言わないようにしています

時々、「気持ちは分かるよ」と慰めているのを見かけますよね。失恋したときや、仕事で失敗したときに、友達や同僚が言ったりするの。あれ、自分は、極力言わないように努力しています。それでも、つい使っちゃっていて、このブログでも2回書いちゃっていますが。

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※ここからtouchな話になります。

理由は簡単で、自分は相手の気持ちは分からないし、自分が「気持ちは分かるよ」言われたら反発心を抱くからです。慰めたいのに逆効果になっちゃう、相手の心が自分から離れていっちゃうかもしれない。

相手の気持ちが分からないというのは、特に自分が相手の気持ちを考えるつもりがないということを表明したいわけではなく、たとえどれだけ努力をしても相手の気持ちを100%トレースすることなどできないという諦めというか、現実の話です。

自分は相手の気持ちをいつでもよく分かっていると言う人でも、相手が自分をいつでもよく分かっているかと問われれば、「はい、そうです」と言いにくいのではないでしょうか。

だから、「相手の気持ちが分かった」というのは、「分かった気になった」程度にしておくと、いいんじゃないかと思います。この話は以前にも書きました。


それで、まあ、「相手の気持ちは分からない」という考えがある程度共有されていることを前提とした時に、言われた方がどう思うか考えてみます。繰り返しですが、自分だったら、「あなたに私の何が分かるの?」と思っちゃう。凄く自分が辛いときに、相手がそんなに辛そうじゃないときは特に。

就職活動で失敗したとか、同じ悲劇を共有していると、「まあ、分からないことはないな」と思いつつも、その受け止め方は、重く受け止めているか、軽く受け止めているかは人それぞれじゃないですか。

「私もこの前失敗したから、気持ちは分かるよ」って満面の笑みで言われても、「いやいやいや」って引いちゃう。

 

それで、ここからは、例として、あだち充先生の『タッチ』という恋愛野球漫画で説明してみます。『タッチ』は、一卵性双生児の達也と和也と幼馴染の南ちゃんの3人の三角関係が序盤で描かれていて、弟の方の和也が交通事故で死んじゃうんですね。遺体安置所で、和也の遺体を前に、達也が南に対し、「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜ…それで…」と言うシーンは、懐かしのアニメ特集で頻繁に紹介されるので、ご存じの人は多いのではないでしょうか。

この時、達也は南と同じ気持ちかと言われると、失意は限りなく近いものかと思いますけど、同じ屋根の下で育って弟に劣等感を抱いていた達也と、和也とちょっといい仲になっていた南が、100%同じ気持ちだったかと言えば、ちょっと違う気がしません?

ちょっと視点を変えて、和也の両親と南が同じ気持ちですか?と問われれば、「ああ、たぶん、違うだろうな」と思う人は増えると思います。

更に更に、同じチームで、和也のボールを受け止めていたこぶ平と南が同じ気持ちですか?と問われれば、違うと思う人はもっと増えると思います。こぶ平も南も和也のパートナーだったかもしれないけど、野球と恋愛では違いますよね。

凄く近い関係でも物事の受け止め方は違うことがあります。仲睦まじい夫婦でも、受け入れにくいものがあって喧嘩することはある。価値観の完全一致はないと言い換えてもいいかもしれない。(だからこそ、人間関係は面白い。)

 

そんなわけで、自分は「気持ちは分かるよ」は使わないように努力しています。代わりに言うのは、「気持ちは分からぬではないけれど、やっぱり分からないので、それでも言っていいかな」だったり、シンプルに「辛い状況みたいだね」「言いたいことがあったら言ってね」だったり。

本当はそっとしたほうがいいシチュエーションは多いので、何でもかんでも声かければいいわけじゃないんですけどね。声をかけるなら、できれば、その効果を色々考えて使いたいものです。