昔から、周りの動きを観察するのが好きだったんですが、そういえばということで一つ思い出したのが、起立・礼・着席にまつわるもの。
昔の自分語りですからお好きな人だけどうぞ。
小学校とか中学校とかって、日直が起立・礼・着席を言いますよね。授業の最初は必ずやるから、一日に4~6回ぐらい日直が起立・礼・着席を言うことになる。
それで自分は何を思ったのか、この起立・礼・着席が周りの動きを見るのに良いツールだと思ったんですね。具体的にはどういうことかと言うと、起立・礼・着席を言うタイミングをずらすんです。
(以下の文章では、
起立○礼○着席 ← この○を一呼吸と考えて下さい)
一時間目は、
「起立○礼○着席」
と言うわけです。これはスタンダード。
それで二時間目は、
「起立○○礼○着席」
とします。礼までに時間を空ける。
三時間目は、
「起立○礼○○着席」
とします。今度は着席までに間を空ける。
四時間目は、
「起立○○礼○○着席」
とします。今度は礼までも、着席までも間を空ける。
こういう感じでタイミングをずらすんですね。時間にして1秒ぐらいの差だから、相当意識をしていないとこちらが意図的にずらしていることには気付けません。自分が日直の時にはこれをやる。
でも、たったこれだけのことでも結構分かることがあります。分かることがあると思っていました。
端的に言えば、ずれたタイミングに合わせられる子と合わせられない子がいること。合わせられないというと語弊がありますが、自分に身についたテンポを崩さない子と言ったらいいでしょうか。
もちろん、一人一人見ていくのも面白いですよね。でも、こうやって、集団に対してアプローチするのもまた違ったものが見えてきて楽しい。それで見えてきたものを使って何かするというわけではなく。見てるだけで楽しいものがある。
こうやってブログを続けているのも、自分の書いたものに対してどんな反応をするか眺めるのが楽しいところがあります。そう考えてみると、昔からやっていることは変わらないんですよね。
人生の半分をこんな感じでやってきているのだから、たぶん、これからも同じようなことをして生きていくんだろうなと思います。