斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

姑と料理

今日は料理特集第四弾として『姑と料理』について書きます。

 

すべては姑とのモヤモヤから始まった

初期からご覧になっている方はご存知の通り、このブログは、二世帯住宅での姑との日々のモヤモヤを他人様に見ていただいて、多少でも溜飲を下げようという目的で始めたものです。だから、ブログのタイトルは『姑日記』です。そういう意味で、姑の話以外は余談みたいなものです。

姑に関するモヤモヤについてはすべて『姑と○○』というタイトルをつけています。以下が、その全てとなりますが、食べ物の話が多いということにお気づきになるかと思います。

 

共同生活で揉め事が起きる原因

大体ですね、誰かとの共同生活において些細な揉め事が起きるのは、

  • 両方とも生活に欠かせない特定の家事等についてこだわりがある
  • どちらか一方がその家事等についてこだわりがあり、もう一方がその相手のこだわりを理解できない

こういう時です。

それで、自分と姑の場合はどうなるかと言えば、これは前者となります。まあ、分かりますよね。自分は食べ物にこだわりがあり、姑も同様にこだわりが強い。もちろん、話が通じ合うこともあるわけですよ。あのお店が良かったとか、あの食材が良かったとかそういう話は出る。

 

料理好きだからといって何でも相容れられるわけではない

でも、例えば、味覚に関してはみんながみんな同じではないですよね。後は、料理に関するスタンスも違う。

父方の祖母の濃い味に慣れ親しんだ父のために、母が濃い味料理を作るようにしていましたし、自分の舌はそれを食べて育ちました。薄い味は理解できるけれど、つい油断をすると濃い味にしてしまう。また、働いているし、育児もしているし、買い物も料理もするのは好きだけどあまり時間をかけられない。

一方で、姑はあまり健康とは言えない舅のために昔から薄味料理を作ってきました。元モデルということで働いた経験はあるけれど、基本はずっと専業主婦です。何時間も料理に時間をかけるタイプ。

 

また、美的センスも違うわけです。そうすると、置いてあるお皿も違うし、盛り付け方も違う。

うちの場合は、洗う手間を減らすために、あまり多くの食器は使いません。中が小分けにされた食器プレートを利用して、汁物だけ椀に入れる。人を呼んでパーティでもする時だけ良い食器を出します。
姑は、洗う手間は惜しまないし、食器にもこだわりがあるから、小鉢を大量に使って毎食用意する。魚用のお皿はどれかあるか分からない。丼物なんて下品だし、炭水化物摂取過多になると考えていて作らない。

 

その上で、お互い思ったことははっきり言う方ですからね。

 

そうすると、もう、揉めるの必至です。だから、色々あった上でのお互いの線引きとして、相手の料理を食べる時にはどう思っても「美味しい」「ありがとう」と言うようにしているし、極力相手の家の食事事情には口を出さないし、キッチンも利用しない。それでも、気付いたら姑が我が家の食事後の溜まった皿を、ついつい洗っていたなんていうこともあるわけですが。これは、二世帯あるあるですね。

 

価値観がぶつかり合う中でのすり合わせの重要性

こういう背景もありまして、料理のスタンスが違うということについてはそれなりに思うところがあるわけです。誰かが誰かを一方的にメシマズとして糾弾する話じゃないと思うんですよね。結局は、お互いの価値観のぶつかり合いですから、糾弾するより、その状況をどう擦り合わせるかという、コミュニケーションの問題と考えた方がいい。

ご飯が美味しくない、メシマズのお祖母ちゃんがいたとして、それを理由にして親が自分の子どもを会わせないのか。自分は、メシマズでもお祖母ちゃん好きでしたけどね。親がそれを理由で会わせないなんてことを言ってきたら、親を軽蔑していたと思います。

もちろん、そのお祖母ちゃんが、子どもにアレルギーがある食事を食べさせようとしていれば、それは問題ですよね。これはよくあるトラブルの一つ。それだけが問題だとしたら、そのことをどう本人に理解させるかという話になる。(大体、それだけが問題ということはないんだけど。)


料理に限らず、人間一人一人物事の捉え方、処理の仕方は違うわけです。料理なんて一つの話題に過ぎない。違う人間同士が一緒にやっていこうと思ったら、すり合わせが必要です。ルール作りが必要。仕事だったらそうする。家庭でやっちゃいけない道理はない。 

あまりに価値観が違う、コミュニケーションするための自分の技量もない、相手にも技量がないということであれば、その人と没交渉するのは全然ありですよね。エネルギーをかけるだけ無駄。気軽にサクサクFOしたらいい。だけれど、まだ、まともに会話が成立する人間に対して、ある部分が嫌だからって、全面的に宣戦布告しちゃったら、収まるものもの収まらなくなる。

誰かを批判してそれで終わりなんていうことにしたくないんですよね。

 

締め

そういうわけで、ここまでは、自分が料理について置かれてきた環境を書きました。ここまででポジションがはっきりしたと思いますので、このポジションでのポジショントークとして、明日以降の料理記事に繋がっていきます。次回は、『メシマズ批判は多くの女性を追い詰める』です。