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斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

死んだから「注目される」「変わる」のではない社会に

この手の話はすでに多くの人が言っていることですが、大切だと思うので私も書いておきます。

 

人の死について日々報道がされています。

自ら死を口にする人がいれば、

瀬戸内寂聴さん謝罪 死刑制度めぐる発言で「バカは私」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

死を選ぶ人もいます。

「ブラック企業」と闘う基金=ワタミ過労死訴訟の遺族設立へ:時事ドットコム

浪岡中女子生徒自殺でいじめ対策審始動/Web東奥・ニュース

社員「過労自殺2度目なので…」 電通の労務管理焦点に:朝日新聞デジタル

 

人の死は、注目される死もあれば、それほど注目されない死もあります。労災の補償を受けたケースでは、死亡した人の9割以上が男性ですが、極少数の女性の死のほうが報道では目立つ印象があります。 

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出所:厚生労働省『平成28年版過労死等防止対策白書

すべての人の死が等しく注目を浴びるわけではないとしても、ケガや病気に比べると、人が死ぬというのは特別に扱われる傾向があります。

 

人の死にそれだけ多くの注目が集まるのであれば、人の死によって世の中が変わることもあります。私はこれまでの数十年間の人生で、人の死をきっかけに制度や体制が変わるのを何度も見てきました。多くの人の死によるものもあれば一人の人の死によるものもあります。必ずしも人数の多寡で決まらないところがあります。

人の死の影響力を見ているとふとこんなことを考えます。「どうやっても変わらないように見えるこの仕組みも、人が死ねば変わるんだろうな」というものです。実態としては確かにその通りなところがあります。ただ、そう考えた後で「いや死んだから変わるなんておかしい」とも思います。

 

死んだら変わる社会はおかしいですよね。その人が死んだことで他の人は死ななくなるかもしれない。でも、その人の死は取り戻せません。かけがえのないものを犠牲にして、変わる社会。

死によって社会が変わることが当たり前になることの弊害はそれだけではありません。どうしても防ぎようのない死だったとしても死んだからという理由で何らかの対策を取らねばならないというゼロリスク志向にも繋がりますし、死ぬことで社会を変えようというインセンティブが働くようになりますし、死ななない限りは変える必要がないという発想も出てくるかもしれません。

 

労働時間が異常に長い、いじめがあるといった状況が人に与える影響の大きさは分かっています。人が死ぬという事態になる前にできることはあります。

他人が死にたいと思わない環境を整えた上ででも、他人が自ら死を選ぶこと自体の是非は私には答えはありません。人生をどう生きるのかと同様に、死を選ぶことについても他人の自分が口を出せることの限界はあると考えています。せいぜい、普段から真摯に付き合うぐらいでしょうか。直接死ぬことを聞かされたら、できることがあるかは伝えるかもしれない。

「人生は完結」と思う高齢者の自殺ほう助認める動き、オランダ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

本人が死を選択することの是非は置いておいて、繰り返しですが、社会制度の変更が人の死を前提にするのはおかしいと考えています。願わくば、死んだから「注目される」「変わる」のではない、当たり前の危機を当たり前に予防する社会にしたいものです。

 

人の死が炭鉱のカナリアとして利用されるのが自然なことであってはならない。