斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

虐待の連鎖を断ち切るにはどうしたらいいのか ~虐待の連鎖のエピソード集から~

ブログの読者から「虐待された子が成長して両親となる際に、何を学んでおくべきか」を相談したいとメールがありました。

メールの返信には私がこの分野のプロではないことをお伝えしていますが、以前から、虐待の連鎖に興味があったので、この際、研究やら、いくつかの本を読んでみることにしました。

以下は虐待の連鎖を調べはじめて三日目ぐらいで私が知ったことと読んだ本の感想です。繰り返しですが、私は専門家ではありませんからね。

それでも良いと思う人は、どうぞお読みください。

 

虐待の連鎖とは

被虐待経験がある親が子どもに虐待してしまうというものです。私もいつ知ったかは記憶にはないものの以前から知っていたので、たぶん知っている人は知っている、それなりに有名な概念だと思います。特に都市伝説ということはなく、研究で確認されています。

児童虐待における世代間連鎖の問題と援助的介入の方略:発達臨床心理学的視点から 久保田まり(季刊・社会保障研究)

Cicchettiらの研究以外にも,「被虐待児など愛着外傷を抱える人が,後年,虐待親になっていく」という虐待の世代間連鎖の比率の高さは,数多く報告されている。

気をつけたいのは、虐待をされたから自分も100%虐待をするということではないことですね。単にそうでない場合より傾向が強いというだけです。100%虐待すると信じちゃうと、「だから私は虐待の連鎖を起こさせないために子どもを持たない」とか「あの人は子どものときに虐待されたから子どもを虐待するに違いない」とか考えることに繋がっちゃいます。そんなことはないし、また、虐待されてなくても虐待することはあります。

「傾向があること=必ず起きること」と脳内変換して、妙に攻撃的になったり、悲観的になったりするのは、もったいない。

 

なぜ虐待の連鎖が起きるのか

原因としてはこういうことらしいです。

研究部報告22 児童虐待に関する研究第2部 聞き取り調査(法務省総合研究所)

西澤(1999)は,トラウマを受けた人には,その体験を乗り越え,コントロール感を回復しようとのメカニズムが作用して,他者への加害,自己破壊性,再被害化といった様々な形態を取りながら,トラウマとなった状況を想起させたり繰り返してしまうような事態に強迫的に身をさらしてしまう傾向があるとしている。 

この点は、もう少し他の研究や本を読んでまた紹介するかもです。

ただ、自身が受けた強い経験を他者にも行う・期待することがあるというのは、何も虐待に限らないので、違和感はありません。いびられた姑が嫁をいびるとか、オーバーワークな上司が部下にオーバーワークを強いるとか。「お腹を痛めた子どものほうが可愛い」みたいな呪いも同じですよね。

 

虐待の連鎖の事例集を読む

今回、虐待の最初の一冊はこちら。Amazonで"虐待 連鎖"で引っかかったので読みました。 

断ち切れ!虐待の世代連鎖―子どもを守り、親をも癒す

断ち切れ!虐待の世代連鎖―子どもを守り、親をも癒す

  • 作者: 長谷川博一
  • 出版社/メーカー: 樹花舎
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
 

著書の長谷川博一さんはwikipediaによれば、心理学者として複数の刑事事件の被告の精神鑑定をされたそうです。

長谷川博一 - Wikipedia

自殺サイト殺人事件、秋田児童連続殺害事件、松戸女子大生殺害放火事件、豊川市男児連れ去り殺人事件、附属池田小事件、秋葉原通り魔事件等 

この本では、長谷川博一さんが接した虐待の連鎖に苦しむ人々のエピソードを43個、書いたものです。上記の刑事事件の被告と思われる人も登場します。

エピソード集ですから、虐待の連鎖の断ち切り方を学術的に説明したものではありません。ただ、n=1もこれだけ集まれば傾向が読み取れるというか(正確には長谷川博一さんが読み取った傾向を読むのですが)、一個人の経験を読むよりかは得るところは多いかなと思いました。

特に、

  • 虐待の連鎖が本当にあるとは信じられない人
  • 犯罪加害者に事情があることがある(虐待されたことがある)ことが信じられない人

にはお勧めです。

ただ、当たり前かもですが、エピソードはほとんどが重たいものです。長谷川博一さんはとても感情的に(やや感傷的に)文章を書いているので、他人のエピソードを自分のものと一体化してしまう傾向がある人は、たぶん1ページも読めないと思います。

次からは、私が気になった部分を引用して、コメントをつけて紹介していきます。私のコメントである程度息はつけると思いますが、キツい描写が連続することもあるかもなので、その点はご理解の上、読んでください。

 

虐待の連鎖と解離への対処と言語化と 

タカシが今でも恨んでいるのは、学校で起こしたことを母親に伝える教師。「言わないで」と懇願するのだが、いつも母親は知っていて、帰宅したタカシを殴るのだった。

(p.29)

虐待されていた子が、学校で暴力を振るい、それを教師が親に伝えることで、更に親から虐待されるというもの。こういう事例を何度も何度もこの本では紹介するのは、著者として、虐待の連鎖への対処として、学校の教師の役割に期待するところが大きいからのようです。

 

母親は時おり涙を見せながらも、「私が叩いたのは愛情です」と力説する。

(p.30)

これも、この本では何度も登場する描写です。叩いているのに子どもは愛しているというのは厄介ですよね。「二度と叩きません」と誓っても、愛故にまた叩いてしまう。 

 

「誰のおかげで電気代が払えると思ってるんだ!」

(p.33)

このフレーズだけで誰が誰に対して言っているか想像できるのが、虐待が当たり前なことの証拠じゃないかなと思いました。「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ!」というのは結構な頻度で見聞きする言葉です。

 

母親自身も、その少女時代、アルコール依存症の父に殴られる母を気遣うことに、娘としての価値を見つけていた。

(p.34)

母親がDVされているのを横で見ていて、その母親を気遣う役割を見出したことで、自分が夫にDVされるのも受け入れちゃって、子どもに自分を気遣うことを求めるというのも、虐待の連鎖としてあるようです。子どものことを考えれば、夫とはさくっと離婚した方がいいのでは?と思っても、本人としては家族のあり方がこれが自然と考えていると、なかなか決断はできないですよね。

 

父と娘は「じゃれ合う」ほどに仲がよく、身体をつついたり、プロレス技をかけあったりするのだそうだ。

(p.38)

高校生の娘とその父親が身体的に肌を触れ合うことが日常的で、"プロレス"というキーワードが入ってくると、性的虐待の可能性がプンプンしますよね。で、これが仲が良いという言葉で処理されているということは、観測者である母親は問題ないものとしたいという心理がありそうだなと。母親としては、家族を維持するために娘の犠牲には目を瞑る。

 

私はばかな母親です。こんな私に育てられて、息子もばかになってしまいました。

(p.46)

短いですけど、虐待の連鎖がいかに強いかを思わされる独白。たぶん、自分自身がばかだと言われたから自分をばかだと信じていて、子どももばかだと信じている。自己肯定感が相当に低そう。

 

彼女の生き方は、まるで虐げてくれる男性の懐に、自ら飛び込んでいるかのようだった。

(p.53) 

虐待の連鎖が起きる一因として、自分に暴力を振るう人間と付き合っちゃうというもの。これ、正確な理由は説明されていないんですが、被虐待経験者の中には愛情は暴力とセットでないといけないと信じている人がいるからなんですかね? 暴力を振るう人間がコントロールできるターゲット(被虐待経験者)を好んで狙ってくるというのもあるのかな。「スタンド使いはひかれあう」みたいな。

 

2001年度に精神疾患で休職した教員は、前年度より11%増えて2503人となった。

(p.59)

気になったので調べてみましたが、最近は5000人ぐらいだそうです。倍増。教員の置かれている環境が一気に悪化したというのは現実的ではないので、精神疾患が一般的になったということかなと思います。児童虐待やDVの報告件数も同じように急増していますし。

 

解離から回復する兆しである。しかしこのことは同時に、悲嘆や怒り、罪の意識が混沌とした「もだえ」の試練に襲われることを意味していた。

(p.70)

解離とは、被虐待経験者が、虐待に耐えるために、自分の心を虐待されている状況から引き離す(信じない・忘れる)みたいなことらしいです。で、被虐待経験者が虐待を克服するには、自分が虐待されていたと認識することで解離を戻す必要があるようなんですが、これは相当にしんどいものということが書かれています。これを考えると、他者の虐待の克服を素人が手伝うもんじゃないなと思います。下手をすると最悪な展開になりますよね。

 

「たたくときは、本当に息子が悪いやつに見えて、なんとか懲らしめなければ、と……」

(p.72)

相手が悪いんだから叩くのは悪くない、叩けば悪いのが直るみたいな発想ですね。これは何も被虐待経験者に限らず、暴力や暴言を他者にしてしまうときにはありがちだと思います。

 

現在の親子関係を見直すために、親自身が過去を探る旅に出る。この「処方箋」を手にする勇気をもつ人は、幸いである。

(p.76) 

被虐待経験者の親が子どもに虐待してしまうのをどうにかするために、自分の虐待に向き合うというもの。大体は、子どもに問題があると考えるので、このやり方を試すに至る人はあまり多くないかなと思います。

 

「あなたが生まれてきてくれて、お母さんはうれしい」

(p.78) 

被虐待経験者が、自分がしてほしかったこと、言われたかったことを子どもに伝えることで、間接的に自分を癒せるみたいです。これは効果がありそう。

 

「親はどんな人だった?」と問うと、少し間をおき、「私はいつも親を困らせていました」と答えた。主語が「親は」から「私は」へすり替えられていた。

(p.80) 

「すり替えられていたのさ!」じゃないですけど、ナチュラルにすり替えが行われると、怪しいなと思いますよね。あなたの話をしているのに他人の話をし始めるのとかでも、そう。

 

いつしか、どこの家でも父親は母親を叩き、子どもは母親を慰めるものだと思い込んでいた。

(p.90) 

この構造はすでに上で紹介しましたよね。ポイントは、他の家でも一般的にそうだと信じている点です。他の家庭の事情はなかなか見聞きする機会が少ないから、性的虐待レベルじゃないと自分の家がおかしいことに気付けないですよね。

 

夫婦の問題を解決しようなどと考えなかった麗子をカウンセリングに向かわせたのは、幼い息子の暴力だった。

(p.91) 

これは良くある展開みたいです。「子どもが家庭内暴力を奮っているから困っている」と相談してみたら、実は夫や妻が子どもや本人に家庭内暴力をしていたということが実は真の問題だったという流れ。ただ、これを一般化すると、子どもが家庭内暴力をする場合、親子関係に必ず問題があるということになってしまうので、一つの可能性と考えるものですね。

 

ちなみに、自称霊能力者にも、被虐待経験をもち、解離症状を呈する人が少なくない。清子の霊能力者は、過去に自殺未遂をくり返していたのだった。

(p.107) 

比較的重たい話が続き、著者としてもまったく悪気なく、真摯に書いていると思うのですが、ここは、「えー、それ、どこまで調べて言ってるの!?」と声が出ちゃいました。子どものときに不思議ちゃんに会ったことがある人としては非常に納得できる話だと思いますが、さすがに、これは書いていいものかなと。自分が受けた暴力を霊によるものと考えるという解離の方法の一種という理屈も納得できるんですが。納得できるんだけど!

 

「寂しかったの?」「いいえ、そんな気持ちは消していましたから……」

(p.112) 

解離が端的に分かる一文です。辛いということを辛いと思えない・言えないと澱のように心に残るというのは、虐待に限らず、良くあることだと思います。悲しそうな顔をしている言語が未発達な子どもに「悲しかったね」と伝えることが有益なのと同じ。

 

暴力のサバイバーとの対決には、「目には目を、歯には歯を」のパワーゲームに入り込まないこと。つまり理屈で反証しようとしない。

(p.117) 

この方法が本当に有効かどうかはケースバイケースなんじゃないかなと思いました。下手をすると最悪な展開になるんじゃないかなと。やはり、専門家の指導がないと怖いなと思います。

 

小四の彼が、「強い人間が正義だ!」と言い、奈津美に殴るけるの暴力をふるったのだ。

(p.118)

少年漫画で、暴力で踏みにじられたキャラクターが暴力で世界に自分の存在を示すというのは非常によくある展開ですが、実際に現実世界でお目見えするともう勘弁してほしいというか。

 

「子どもの顔を見ると苦しくなるから、子どもに近づかんようにしとる」

(p.124)

特に父親に多いようですが、自分が虐待をしてしまう可能性から、(意識的にか無意識的にか)子どもと接点を持たないようにすることがあるようです。虐待の連鎖を起こさないための本人の苦肉の策。ただ、周りに説明はしないから、周りからは「子どもに興味が無いんだな」と思われる。

 

「ボクは、生まれてくる子どもにやってしまう」

(p.128)

上のエピソードとは別の、子どもが産まれる前に虐待の連鎖のリスクを考えて自殺してしまった父親の言葉です。虐待の連鎖が必ず起きる、虐待の連鎖は防げないものだとしちゃうと、こういう悲劇が起きることに繋がる。

 

「あんたに言われる筋合いはない! 昔のことをつべこべ言うな。そんなこと言われて、なんで私が娘から傷つけられなあかんのや!」

(p.131) 

被虐待経験者が虐待を克服するために親と対峙する(インナーペアレントを退治する)というのはよく見聞きしますが、実際にそれをやったときの親からの反応です。特に、著者による補足説明はありませんでしたが、娘の精一杯の告白を、母親が自分への攻撃と受け止めている点は、この母親自体にも何かがあると考えられるんじゃないかなと思いました。親からの返しも考えると、親への対峙も専門家の意見を求めて行うものですかね。

 

キレやすい父親たちのスイッチを入れるのは、「子どもが宿題をしていない」というタイミングだ。

(p.135)

以前このブログで、「宿題をすることは学力向上に効くらしい」ということをエビデンスとセットで紹介したときに、

宿題が多いことは学力向上に繋がらないかもしれないが、宿題をすることは学力向上に繋がる - 斗比主閲子の姑日記 

擬似相関ではないか?という指摘とともに、宿題に対する怨嗟の声も出てきたのは、たぶん、これもあるかなと思いながら読んでいました。日本での宿題の実態(とイメージ)は相当に悪いですよね。宿題をやらないとまるで問題児とみなされて、親にも報告される。

 

「私は毎日、娘の隣に座って、宿題をさせました。包丁を娘の背中に突き立ててたんですよ!」

(p.139)

虐待で包丁を使うのは体力的に相対的に弱い女性が多いようなんですが、包丁を使っていると、子どもも包丁を使って反撃をしてくるようです。分かりやすい連鎖。

 

「素手で殴り返していたが、中学になるとオヤジは包丁を持ち出した。やり返せば殺してしまう。だからオレは逃げた」

(p.153)

逆に包丁だとやり過ぎてしまうから、その関係性から逃げるというのも反応としてあるようです。これは、父親が子どもに虐待しないために子どもと距離を取る傾向があるのと似てるかもしれません。

 

「だから私も主人も、笑うと叩くようにしたんです。それが間違いでした……」

(p.159)

子どもが学校で怒られると笑うことを教師が問題視したので、家庭でどうにかすべく、子どもが笑うと叩くようにしたという話。笑うというのは相手に敵意がないことのアピールですから、怒られて笑うというのは、ある種の防衛反応なときもあるんですよね。笑っているのはこちらを舐めているんだと思いこむと、状況を更に悪化させる。

 

つまり、父親も早紀を虐待しているときの意識がない。

(p.166)

被虐待経験者が解離をそのままにしておくと、自分が虐待するときにも解離をしてしまうことがあるという話です。とすれば、なかなか本人は気付けないから、周りの対応が重要になる。

 

祖母が子ども時代を過ごした古い家がまだ残っていた。

(中略)

竹定規が散乱している。みんな折れている……。ほかにも、ひび割れたソロバン。

(p.175)

自分が子どもに暴力を振るう原因を探ってみたところ、自分も父親に虐待されていたことを思い出し、更に遡ると、父親も祖母に暴力を振るわれていて、その祖母の子どもの頃の家に行ってみたら、どうやら祖母も暴力を振るわれていたことが察せられる状況が残っていたというもの。

非常に印象的なエピソードでした。The 虐待の連鎖というか。現代から過去に戻っていくという展開は、創作ですが、小野不由美さんのホラー『残穢』が思い浮かびました。 

残穢 (新潮文庫)

残穢 (新潮文庫)

 

 

衝動という魔物と闘うためには、強化された理性こそが武器になる。言語化は理性の機能の象徴であり、癒しにつながる意味もここにある。

(p.195)

ということで、虐待を克服するために言語化が重要だという話がされています。暴力はコントロールするために理性を強化する必要があり、理性の強化の方法として言語化をするという理屈です。言語化は私は大好きですし、もう少し学術的な本で正確なロジックをフォローしたいところです。

 

私の調査によれば、厳罰化に賛成する人は体罰を受けて育った人のほうが20%も多かった。

(p.197)

少年犯罪の刑の厳罰化に賛成する人には、そうでない人より体罰を受けて育った人が多かったという調査の紹介です。目を引く調査ではあるんですが、自称霊能力者には被虐待経験者が多いというのと同じで、詳しく調査方法を見た上でコメントしたいもの。

ただ、サバイバーが同じ苦境にいる人を厳しく見ること自体は、他でも散見されます。私の記事だとこれとか。

保育園を増やすことに反対するのは高齢者なのか?男性の方が多いのか?? - 斗比主閲子の姑日記

個人的には、苦境からサバイブした人が苦境に配慮した対応が「必ず」できるというのは正しくないと考えています。その苦境を単にサバイブするのではなく、克服できているのであればいいけれど、そうでないと、「サバイブできないのは本人の怠慢だ」と逆に自己責任論を振りかざすことになることがあるので。

 

三年前に七つの大学で実施した調査によると、女子大学生の7.6%に自傷行為の経験が認められた。

(p.207)

数字に絡む話が続きますが、自傷行為経験者がこれほど多いとは知りませんでした。これも調査内容や他の事例を詳しく知りたいところです。自傷行為をしている=虐待経験があるとは必ずしも言えないでしょうが、虐待の影響が発現している一つの事象として、リストカットを見ると、また違う物が見えてきそう。

 

「父さんが死んだら、骨をもらって食べたい。そうしたら私の一部になるでしょ?」

(p.211)

虐待した父親と自身を一体化したいという発想。鈴木大介さんの『再貧困女子』でも同じものを見たなと思いました。愛憎がぐちゃぐちゃになっちゃって、子も親も離れられないみたいな感じ。

2歳の子を持つシングルマザーと再婚すると言い出した、お花畑脳な父親 - 斗比主閲子の姑日記

子どもを育てるのは、子どもに親の呪いをかけず、自立してもらうことだけれど、それはなかなか上手くできないことがある。

 

「介入後の転居」という図式は、緊急度の高さを示すサインであり、転居先を追跡し、現地期間への引き継ぎを怠らないことだ。

(p.219)

話は変わって、児童虐待のケースです。児童虐待をしている親が、児童相談所からの介入があった後すぐに転居するというのは、事態を更に悪化させる可能性があるため、注意したほうがいいというものです。

以前この記事で、『おおかみこどもの雨と雪』を小町シミュレーションしたんですが、

もしおおかみこどもの花が発言小町で相談したら - 斗比主閲子の姑日記

花は児童相談所からの介入等で苦しんで田舎暮らしを決断したわけで、あれも外からは非常に危険な状態に見えますね。

 

子どもを守る機能(児童相談所)と、親のケアを行う機能を分離するのだ。

(p.221)

児童相談所はあくまで児童を守るところであって、親のケアまでは難しいから、その機能を別に作ったほうがいいという著者の主張です。2005年の本での主張なので2017年の現在ではどうなっているのかを少しフォローしたいところです。

話は変わりますが、この話はいじめ問題でも同じだと私は考えています。いじめ被害者を守ることと分離する形で、いじめ加害者(とその親)のケアも行ったほうがいい。 

学級崩壊の思い出~子ども視点~ - 斗比主閲子の姑日記

スクールカースト上位のいじめ加害者に対して、人格と行為を明確に分けた配慮ある指導を私ならできたのだろうか - 斗比主閲子の姑日記

 

「相手の子がかわいそうだと思います。でもその後、母親に対して申し訳ないという気持ちに襲われます」

(p.227)

性犯罪の加害者の独白です。要するに、当の本人は親から虐待されていた可能性があったというもの。「自分が被害者だからといって加害行為が許されるのか」という被害者の心理があるからこそ、被害者のケアと加害者への対処は分けて処理したほうがいい。

 

締め

引用してコメントを付けていったら思ったより長い記事になりました。

実際には、ここで書いたことの5倍~10倍ぐらいのことを考えながら読んでいます。頭で思ったことを言語化するのは慣れているので簡単なんですけど、如何せん、他人が一読して理解できるようにしつつ、ある程度重要なものに絞るというのは大変です。

虐待の連鎖について、n=1は大量に積み上げることができたので、次回があれば、もう少し学術的な本や、論文を読んで、気になったところをコメントします。

 

途中いくつかの過去記事に触れていますが、一つ忘れていたので、最後に紹介しておきます。虐待の連鎖をテーマにした小説のレビューです。

わたしは家庭内トラブルが好きだ - 斗比主閲子の姑日記