斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

「作品は好き。だけど、その作家自身のTwitterやブログは嫌いなことがある」

タイトルのような思いを抱くのはなぜなのか一緒に考えてほしいと依頼がありましたので、簡単に書いてみます(所要時間20分)。

ちなみに、依頼された方は、他には、

  • 自分の些細な日常を書いているブログが苦手
  • 子どもがメインのブログはOK
  • 男性のブログはOK
  • 漫画家のTwitterでも許せるものと許せないものがある
  • 嫌になるものもついつい見に行ってしまう
  • topisyuのブログは気にならない

みたいなことを感じているそうです。

 

どんな時に嫌悪感を覚えるか

まずは、この辺の整理ですけど、一般に何かに嫌悪感を覚えるのは、

  • 危機回避目的
  • 自分自身の嫌な部分を相手の中に見る(投影)

のどちらかかなと思います。今回のケースでは後者ですね。

 

エンタメ、客観性、自意識排除

それで、作品を作る過程では、多くの人間の目に触れる前提で、作家本人の人間性自体はそれなりに排除されるようになっています。程度は人それぞれですけど。

一方で、Twitterやブログではそういう自意識の排除があまりなされていない、作家の生の声が垂れ流しになることがあります。

こういう差がありますから、作品が好きでも作家が好きでないなんてことは当然ありえます。作家さんの生の声は、その人が生きている人間であるということがはっきり認識できててしまうことがあり、自己を投影しやすい。

 

些細な日常生活を書いていても許せる人がいるのはなぜか

そんなわけで、許せる人と許せない人の違いが出てくるとしたら、それは、

  • 自分の実生活、人間性からその人物がどれだけ離れているか
  • その人物がどれだけエンタメ要素や客観性を意識しているか

という違いからくるものかなと思います。

自分との共通項が少なく、その人物が他人を楽しませることを意識していれば、日常生活のものでも楽しめるんじゃないでしょうか。

 

締め

この人のモヤモヤの中で面白いのは、嫌いなんだけどつい見てしまうというところですね。いわゆるアンチ精神がこれで、興味が無ければスルーすればいいのに、ついつい目に入れちゃう。自分自身からは逃げることができないから、相手を見ることで自分を見ようとする。

そういうわけで、こういう嫌悪感を覚えるのは悪いことではないと自分は考えています。自分自身を省みるきっかけになるので。どうしてもこの嫌悪感がなくなって欲しいのであれば、嫌悪感を覚えるものと覚えないものを類型化していって、それと自分の状況を照らし合わせて、自分が考える自分自身の問題点に向き合う感じですかね。
自分自身の問題点について自覚的になればなるほど、嫌いな人が減っていくので、この作業は面白いですよ。

この依頼をされた方がもう少し突っ込んだ話をされたければ、どうぞ気軽にメール(etsuko.topisyu@gmail.com)をください。