最近のニュースでこんなものを見ました。
SEALDs 奥田愛基さんへの脅迫状で明治学院大が声明「言論の自由に対して許しがたいこと」
一方で、こんなものや、
為末大さんがSEALDsに対して感じている事を呟いたら斜め上に叩かれている件 - Togetterまとめ
こんなものも見ました。
マジレスすると以前にシールズの前身団体の感想をつぶやいたら複数のシンパが安田のクビを求めて職場にメル凸してきたので、彼らに直接言及したくない @miyoyon http://t.co/nUCPC4woGM シールズの直接言及を避けた? pic.twitter.com/HEeW0wfbVE
— 安田峰俊|『境界の民』Kindle版発売 (@YSD0118) 2015, 9月 25
これらを見て何を思うかは人それぞれだと思いますけれど、「無能な味方は有能な敵よりも恐ろしい案件だな」と自分は眺めていました。例えごく僅かでも、こういう嫌がらせをする人間がいると、その人間が属しているグループ自体がネガティブに見えますよね。
何かを成し遂げようとするときには一人だけでは難しく、ある程度人数を集める必要があります。しかし、選り好みでもしなければ、その中に、あまり好ましくない、無能な働きをする可能性のある人間が含まれることも往々にしてあります。こういった無能な味方が活躍すると、その活動自体に危機的な影響を与えることがある。
だから、こういう集団的な活動においては、上手く内部で連携を取ることが重要になります。特に、インターネットが発達し、誰もが楽に発言できるようになり、醜聞が簡単に流れるようになった現代では、無能な働き者の行動をどうコントロールするかのほうが、想定するカウンターパーティと論戦を張るよりも優先順位が高いかもしれません。
一見すると、日常生活には関係ないように見えるかもしれませんが、この話というのは、別に政治的な運動に限定されず、たとえば企業運営であったり、ママ友の食事会であったり、結構応用範囲が広いです。無能な働き者に働かれると困る場面は多々あります。
逆に言えば、ママ友や姑など、自分が嫌いな人間を不利な状況に追い込む(他人がその人間に対してネガティブな感情を抱く)ようにするためには、その人の無能な味方に着目して、どうにかして、その無能な味方に愚かな行動を誘発させるかというのが有効な手段だったりするわけです。
具体的に言えば、嫌いなママ友の食事会があれば、その食事会の参加者で口が悪い人を見つけだしておいて、食事会の直前で人数変更ができないタイミングとかに、「私も食事会参加したいんですけど、大丈夫ですか?」と言って、「そんなの今更無理よ!」みたいな言質を取るわけです。そのママ友自体はオープンな人で、ドタ参・ドタキャン自由!みたいなことを言っていても、その口の悪い人の言質を使って、「○○さんが主催するママ友の食事会に、○○さんのお友達から『私さんは来ないでください!』と仲間外れにされました~(泣)」とFacebookにでも書き込みさえすれば、そのママ友に対してネガティブな感情を抱かせることが可能になります。
だから、こういう事態になるのを恐れて、参加者は限定的にしたり、あまり人付き合いをしないようにする人もいます。無能な味方がいなければ穴はなくなるし、何もアクションを取らなければ攻撃されるリスクも減るわけですから。
ただ、そんな何もしないのはつまらないですよね。だから、リーダーであれば無能な味方は必ず現れるという前提に立ってどうやって組織を運営していくかというのを、組織運営の一つの課題として考えると面白いと思います。