斗比主閲子の姑日記

姑に子どもを預けられるまでの経緯を書くつもりでBlogを初めたら、解説記事ばかりになっていました。ハンドルネーム・トップ画像は友人から頂いたものです。※一般向けの内容ではありません。

親や国が考えるグローバル人材は、日本人としてのアイデンティティを持っていることが前提

次の記事を読みました。

グローバル子供の本音。|めい子ちゃん|note

ざっくりいえば、「親から求められたようにグローバル人材に育ったはずなのに、ことごとく自分のことを親が認めないから(n=1)、あなたが子どもをグローバル人材に育てたい親ならば、そもそもグローバルな発想を持ちつつ子どもを支えてほしい(一般化)」という話です。

私の子育て方針は、「本人を複数の視点からよく見て、子どもの個性と意思に合った形で環境を整えつつ、最終的には自立していただくために、補助機能を本人に合う形で外していく」というもので、特に自分には関係ないかなと思いながら読んでいました。

ただ、記事の中で、

そして今私は就職活動のことで親と大きな壁にぶち当たっている。
私は外資系の世界でも名の知れている金融コンサルタントの内定をもらっているが私の親は外資系なんかにと断固反対。なぜ外資系をそこまで批判するのかも理解できないし、何より言われたことが衝撃的だ
「お前は日本人だからと、お前みたいになんの能力もないやつが外資系に行ったところで自分が困るだけだ」と。

この点については、もしかしたら、なぜ親がこんなことを考えているのか、親子間で価値観が対立するのかを、一親視点でコメントできるかなと思い、今、この文章を書いています。

結論から書くと、親御さんはこの人をグローバル人材に育てたいとは思っていたけれど、子どもと親とで、グローバルに生きることの目的と定義が違っていたために、親子間で価値観が対立したのかなという感じです。

まず、グローバル人材について、この記事では、

このグローバル人材という言葉はグーグルさんによると
「広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間」
であるそうだ。

とgoogleから取ってきたと紹介しています。ご本人が意識していたかどうかは別として、この紹介した定義には削除された部分があります。全文は、以下、文科省の資料にあります。

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赤線は私が引っ張っりました。この箇所が記事では抜けています。

グローバル人材を育てようという発想には、まず、日本が世界各国と競争と共生をせざるをえない状況があり、グローバル人材には、日本人としてのアイデンティティを持って欲しいというのを有識者は考えているわけです。

たぶん、この認識が、この記事を書いた人と親御さんの間で違っているんじゃないかと思うんですよね。まず、ご両親は、

自身は幼稚園から小学校2年生までアメリカのニューヨーク、そして小学校5年生から中学3年までドイツのデュッセルドルフで育った。

もちろんお母さんは料理も上手で慣れない海外生活の中私と弟を育て上げたことは尊敬している。

という情報から、たぶん、お父さんは日本の商社勤務で、お母さんは専業主婦かなと思います。私の推測だと、ご両親ともにアイデンティティは日本人であって、たまたま海外暮らしをした(してしまった)という感じではないでしょうか。日本の経済環境への危機感も覚えていると思う。

一方で、子どもの頃から海外暮らしを普通にしていたら、別に日本の競争環境がどうのこうのとはあまり意識しないし、日本人としてのアイデンティティを培う(培わされる)機会も少なくなります。少なくとも、親とは違うアイデンティティを持っている可能性は高い。

このギャップがあるから、意見の対立に繋がっているというのが私の推測です。

そうすると、親御さんが、

都内の某有名公立高校を蹴るなど考えもしなかったのであろう。

「あなたを国立高校に入れてればこんな子にはならなかったのに」

私の親は外資系なんかにと断固反対。

という反応をするのは、良いか悪いかは別として、違和感がないんですよね。別に毒親とかそういうことではなく、子どもに、親が持っているのと共通の日本人としての感覚(日本人としてのアイデンティティ)を持って欲しかったんだろうなと。

以上、どうして親子間で価値観が対立したかについて、私の所見です。

ちなみに、日本の商社勤務かは置いておいて、日本企業で勤めて海外勤務を経験したお父さんが、子どもの外資就職を反対するのは、一つは外資系の日本法人が権限が限定されていること(「しょせん、日本支社」という意識)、特に外資コンサル勤務に反対するとしていたら、労働環境が過酷であることだと、推測します。気軽に使い捨てられますからね。繰り返しですが、あくまで推測です。

「背中で語る」という言葉に代表される、言わずとも分かる、分かってくれる文化が日本にはあります。グローバル化云々以前に、なぜそう考えるかの理由をできたほうが、同じ日本人でも円滑にコミュニケーションできると思うんですけど、本人からすると、慣れていないことだからなかなか難しいんですよね。